2014年7月28日月曜日

"Ken Krenzel's Relaxed Impossibilities" Stephen Minch






Relaxed Impossibilities (Steven Minch, 2009)



カードマン、クレンツェルの最新作品集。
実はこの少し後、2012年にクレンツェル氏お亡くなりになったので、現時点では最終作品集です。


クレンツェルの代表作って実はあまりよく知りません。
Card Tunnel、Open and Shut Case(未読), On the Up and Up(未読)あたりなんですかね。ただこれらがKrenzelらしいのかはちょっと不明というか。

Card Classics of Ken Krenzel を読んだ限りでは、変な技法がお好きというのは伝わってきたんですが、手順構成とか作り上げたい不思議の像があるのかとかはピンときてませんでした。正直いまでもよく分かりません。

そんなんであまり好きという訳でもなかったKrenzelですが、この本はRelaxedと銘打たれ、特に観客の手の中でおこる不可能に焦点を当てているという事で、なんだいつの間にか芸風が変わったのか、それに観客の手の中で起こる現象とかいいじゃないレパトアに増やしたい、と例によって紹介文をよく読まずに購入しました。


で。
読んでしばらく変な笑いが止まらなかった。

最初から相当にムズい技法が飛び込んでくるし、いつまでたっても技法の章が終わらない。
半分をすぎてもまだ技法。ああ、やっぱりKrenzelだ。俺の知っているKrenzelだ。
その後やっと手順が始まったけど、今ひとつ俺の好みではないのもやっぱりKrenzelだ。


あいかわらず技法の使い道はほとんど与えられていないものの、例のTwo Card Fan Lift Switch Reversal Palmのようなカオスなものはなく、シンプルなコントロールやスイッチが主です。そして「力を抜いている」「何もしていないように見える」という狙いが大変明瞭に反映されているため、難しかろうとも挑戦欲は湧いてきますし、実用性もありそうです。

一方で手順はあまり好みではないのだよなあ。収録作の約半分は、演者が操作する手順、もう半分が相手の手の中で起こる手順で、どちらも『演者が何もしていないように見える』というコンセプトらしいのですが……。

相手の手の中で起こる現象って難しいものです。
現象の最終段階が相手の手の中で示されても、それは『現象が起こった』ではなく『状態が示された』に過ぎない場合が多く、それでは「ああじゃあ渡された時点でこの状態になっていたのだな」と思われておしまいです。
『何もしていないように見える現象』も同様ですが、直前の検めを入れるのが大変難しいのですよね。だからマジックの起こった『時』がぼやけてしまいがちです。手の中で起こる現象や演者が何もしていないという現象を構築する場合は、その危険性にちゃんとフォーカスをあてないといけないと思います。

Krenzelがそこを考えて作ったのか、は正直微妙に思います。

またKrenzelといえばRichardsonとならぶACAAN好きで、今回もACAANと名付けられた手順が3種ありますが、なるべく手を触れずにやろうとして、どれも手続きが微妙。


うーんやっぱりどうも手順があまり魅力的に感じません。
しかし技法の章は大変面白く、そういう目的で買われた方は大満足かと思います。

2014年7月23日水曜日

"Intimate Mysteries" Chris Philpott







Intimate Mysteries (Chris Philpott, 2013)



賞も取った映画脚本家のChris Philpottによるカードメインのメンタリズム本。単なるトリックではなく、それを観客自身の体験にする事をもくろみ、それぞれオリジナルのテクニック・コンセプトで分かれた3つの章からなる。かのJohn Bannonの推薦文と寄稿作品あり。


とくれば非常に期待してしまうところだが、この本は、少なくとも最初の2章、Double KokosとConfessional Confabulationsは糞だった。少なくとも僕にとっては耐え難い内容。
例によってだがもっとちゃんと紹介文を読んでから買うべきだ僕は。


手品を相手の人生にとって意味のある物にする、というアプローチについては、手品ごときがおこがましい、と思わなくもないがメンタリズムの姿勢としては賛同もできる。ただそのためにKokologyを適用する、と言い出すのだよなこの人。Kokology=Kokosって何の事かと思ったのだが、これが心理テストなのだ。それも完全な創作で手順のためにでっち上げた内容を、得々と語る。

曰く、「歩いていると小さな可愛らしい家がありますが、玄関が半開きになっています。なぜですか?(選択肢を提示)」「2の、単に持ち主が閉め忘れたから?」「あなたは危機的な状況を回避できないタイプですね。それどころか、あまりにリラックスしすぎていて、それが起こっていることにすら気付かない。あなたが犯しがちなミスは、悪意よりもむしろ過失の方が多いでしょう。郵便物は山になるし、仕事は決して終わらない。あなたはストレスを感じないかもしれませんが周りにとっては良い迷惑です。周りはそんなあなたに苦しめられており、しかもあなた自身はそれに気付かないのですから、どうにも困ったものです」

こいつ何様なの?

それから、だ。
A故にBである、という発言はその背後に再現性・因果関係があることをほのめかしており、サイエンスの後ろ盾をはっきりと臭わせる。また星占いや血液型と異なり、内容について発話者が責任をもつ形になっている。
だが実際には、これはこいつの完全な創作でありただの妄言だ。このような言い口は、科学にたいしても相手に対しても冒涜に他ならない。少なくとも私にはこんな事を得意げに口にするのはとても無理だ。

(なおBannonの手順はこの点をちゃんと回避しており、さすがにセンスが違う)


おまけに質問の内容が酷すぎる。上の例はまだ良い方。


フリップなどを用意して、舞台に呼んだ観客以外には質問が何を意味するのか判るようにした上で、
「遊園地でジェットコースターに乗る、と考えてください(ジェットコースターはセックスを意味しています)」
「では世界で一番短いコースターを1、一番長いコースターを10としたら、あなたが乗るジェットコースターの長さはどれくらいですか?(これは行為にかける時間を意味してます)」
相手が少ない数字を言った場合、同情したように肩に手を乗せ、「……ああ、あなたのつらさは判りますよ。私もしばらくジェットコースターには乗ってないから。でもね、シーズンパスを持ってるとしたら、どれくらいの長さのジェットコースターに乗りますか?」
 
いいだろう、場合によっては、そういったシーンは良質のコメディになりうる。映画とかであれば、あるいはね。ただここで笑いのネタにされるのは、スクリーンの向こうの架空の人物ではない。見ている観客のなかから呼ばれた一人だ。観客と、笑われている人物とは地続きなのだけれど、それでも笑いとして機能するのだろうか。
そういう場もあるのかもしれない。そういう事ができるコミュニケーション能力・演出能力をお持ちの方もおられるのかもしれない。でも私には無理だし、たぶんこの本の読者の多くにとっても無理だ。


おまけにこの最初の2章は、手法としても新しいところは全くない。
一切ない。
Double Kokosの12作品はすべてInvisible Deckで、Confessional Confabulationsの4作品はOne A Headの3 Billet Mental Epic。特殊なたくらみがあるわけでもないベーシックなもの。
なので手法面での発見もない。ただただ演出が(創作された心理テストまがいの何かが)異なるだけである。演出を軽んじるわけではないがあまりに芸がない。


唯一、マジシャンズ・チョイスを扱った最後の章、Visualization Tangoには見るものがある。マジシャンズ・チョイスのある問題点を、ほぼ完璧に回避しうる可能性を秘めている。ただこれを複数回の選択に拡張する段では考えが尽くされているとは言えず、結果として元々のコンセプトがぼやけてしまっており残念だ。

というわけで最初の2章は、それぞれ1作だけ読めばいい。後は壮絶なる時間の無駄だ。
第3章は、マジシャンズ・チョイス好きの人には面白いやもしれぬ。Hector ChadwickやJoshua Quinnの扱いに似ているが、より発展の可能性を秘めている。

しかし高価であるし、殆どの内容がおもしろくない繰り返しであるので、読む価値は無しと言いたい。少なくとも、もっともっと面白い本がいくらもある。



しかしこの方、The 100th MonkeyやTossed Out Book TestなどBook Test関係のかなり新規性・不可能性の高い(らしい)のを出してて、そちらはまだ気になっている。

普通なら本を読んだらある程度まで手の内が分かるので、他作品を買うかどうかの判断もしやすくなるのだけれど、なにせこの本、手法的な側面は全くといっていいほど記述がないのでね。